岐阜県議会 2011-02-01 03月11日-06号
県政においては、「ぎふ中部未来博」の成功を受け、夢おこし県政を標榜し就任された梶原 拓前知事の一期目であり、斬新な施策を次々と展開し、東海北陸自動車道を初めとするインフラ整備も積極的に行われ始め、県全体が自信に満ちあふれていたように思います。 しかし、間もなくバブル崩壊の影響が顕著になり、「失われた十年」と呼ばれる長期的な不況に突入してからは、苦悩の連続でありました。
県政においては、「ぎふ中部未来博」の成功を受け、夢おこし県政を標榜し就任された梶原 拓前知事の一期目であり、斬新な施策を次々と展開し、東海北陸自動車道を初めとするインフラ整備も積極的に行われ始め、県全体が自信に満ちあふれていたように思います。 しかし、間もなくバブル崩壊の影響が顕著になり、「失われた十年」と呼ばれる長期的な不況に突入してからは、苦悩の連続でありました。
三番目は、エキゾチックアーバン回帰線、いわゆる個性的中小都市回帰線とも言うべきもので、夢おこし県政で多くのイベントを通じまして村おこし事業を各地で競って、多くの特産土産グルメができたものを生かすときが来たことなどでございます。これらを機能的にリンクすることで、ホテル、レストラン、お土産、旅行社、交通等を合算すれば、観光産業として広域ではGDPの二〇%を占めるようになることも夢ではありません。
「夢おこし県政」と称し、県民の夢づくりの下請が県政だと言っておられました。つくったものは全て県民の要望があったからつくったのだとも言っておられましたが、言いわけっぽく聞こえます。残念のきわみであります。知事に求められるのは結果責任であります。現実を直視し、将来の方向性を誤りなく、また見失うことなく、改革に必要なのは決断とスピードであります。
といたしましては改革進展パターンにおいて想定される条件の中で、選択と集中による効率化を仮に一般行政経費のみで対応した場合の必要額をお示しをいたしたものであります。さらに、具体的な内容につきましては、毎年度の予算編成時の状況に応じ、県議会の皆様の御意見をお伺いしながら対応していくことが適当であると考えております。 私といたしましては、努力をすれば未来に可能性は開けるということを御理解をいただき、一緒に夢おこし県政
梶原県政は「夢おこし県政」を標榜され、県民の多くの夢や願いを聞き、数々の施策を展開されました。また、施策の方向には、「日本一を目指して」という言葉が多く聞かれました。本物志向こそ将来評価されるとの考えもうかがわれました。また、長い将来を見据えて、先進的に十六年間を走り切られました。 現在、梶原旋風が吹いたあとのなぎで、古田風がどのように吹くのか、じっと県民が見守っていると考えます。
梶原前知事は、地域住民の声を県政に反映させる仕組みづくりや、県民とともに県政を進める仕組みづくりを構築し、「夢おこし県政」を推進してこられました。このような取り組みは、日本の市民政治の草分けという評価がある一方で、一部の施策、特に箱物への投資という面では、あえて批判を受けるというスタンスがあったのかもしれませんが、県民の納得が十分に得られないままに事業を進めてきたという面もあったと思います。
夢おこし県政を平成元年度にスタートさせていただきました。もはや岐阜県は国の下請ではなくて、県民の皆さんの夢の下請人であると、こういう宣言をいたしました。これが夢おこし県政でございまして、当時としては非常に珍しい県政の姿勢ではなかったかと思いますが、一貫してその姿勢・精神で今日まで参りまして、ただいま御質問の中にありましたように、最終段階では全国知事会として三位一体改革に携わることができました。
私のこれまでの取り組みを大まかに振り返りますと、知事就任以来、「夢おこし県政」を標榜し、もはや県は国の下請ではなく、県民の夢を実現する県民の下請であるべきとの認識のもと、県民の夢をかなえるべく、基盤整備、施設整備、文化、福祉、環境、健康、産業等の施策を進めてまいりました。「夢投票」八万件にも上る県民の夢は、その六割が実現あるいは実現途上にあるという成果を上げております。
改めて顧みるまでもなく、知事は県民総参加の「夢おこし県政」を掲げて、「日本一住みよいふるさと岐阜県」づくりに大きな実績をおさめられ、我が岐阜県の先進性と存在感を広く内外に示して揺るぎないものにされました。さらに、最近は全国知事会の会長として、地方六団体の先頭に立ち、革新的ながら秩序に富んだ地方分権の推進に、たぐいまれな力量と指導力を発揮されました。
梶原知事には、四期十六年の長きにわたり岐阜県政のかじ取りを担当され、県民の夢の実現を県政運営の基本に置いた県民主役の「夢おこし県政」に実にパワフルかつ情熱的に取り組んでこられました。
梶原知事は、平成元年の知事就任以来、県は国の下請機関ではなく、県民の夢を実現するための下請機関であるとの考えのもと、県民の夢を実現することを県政運営の基本に置かれ、社会的に弱い立場の方に心を配る「気配りの県政」と、時代の流れに先手を打つ「先取りの県政」を両輪として、県民総参加で「日本一住みよいふるさと岐阜県」を目指し、県民が主役となった「夢おこし県政」に取り組んでこられました。
改革の姿勢云々という話がありましたが、私は夢おこし県政というものをスタートしまして、もはや岐阜県は国の下請機関ではないと。県民の皆さんの夢の実現の下請人だと。平成元年度に知事に就任させていただいたときに、そういう百八十度転換の宣言をいたしました。以来、ずうっと県民本位の県政、生活の現場に立脚した県政を志向してまいりました。そして、そういう精神に基づいて多くの改革をしてまいりました。
まず、質問に入ります前に、梶原知事さんにおかれましては、四期十六年の間、本当に斬新的な夢おこし県政、先取り県政を進められ、また全国知事会の会長として東奔西走されまして、本当に御苦労さんでございました。来年の二月で勇退されるとお聞きをいたしまして、非常に残念で寂しい気がいたしますけれども、健康上の理由ということでやむを得ません。
知事は、平成元年の知事就任以来、県は国の下請機関ではなく、県民の夢を実現するための下請機関であるとの考えのもと、県民の夢を実現することを県政運営の最大の柱とされ、「気配りの県政」と「先取りの県政」を両輪として、県民総参加で「日本一住みよいふるさと岐阜県」を目指し、県民本位の「夢おこし県政」に取り組んでこられました。そして、その実現に向けて数多くの施策が実施されていると聞いております。
今議会初日の梶原知事の提案説明で、その冒頭、知事は「平成元年の知事就任以来、県は国の下請機関ではなく、県民の夢を実現するための機関であるとの考えから、県民本位の夢おこし県政を推進してきた」と申されました。そして、「政治は弱い立場の人のためにある」という御自身の信条を述べられました。長くトップの座にある方のお言葉として、自分もかくあるべしと思いながら、感銘を受けて聞いておりました。
知事は、平成元年の就任以来、県民の夢を実現することを県政運営の基本に置かれ、「気配りの県政」と「先取りの県政」を両輪として、県民総参加で「日本一住みよいふるさと岐阜県」を目指して、県民本位の「夢おこし県政」に取り組んでこられ十五年になります。
私は、平成元年の知事就任以来、県は国の下請け機関ではなく、県民の夢を実現するための下請け機関であるべきとの考えのもとに、「気配りの県政」と「先取りの県政」を両輪といたしまして、「日本一住みよいふるさと岐阜県」づくりを目指して、県民総参加、県民本位の「夢おこし県政」を推進してまいりました。
最近では、隣の秋田県を初め岐阜県の夢おこし県政、三重県の人材育成など全国の自治体や企業でこの手法が取り入れられておりますが、特に有名なのが大分県の臼杵市であります。臼杵市の後藤市長は全国に先駆けたバランスシート市長としても有名ですが、破綻寸前の市財政を再建し、同時に最先端情報都市を目指し、ケーブルテレビ網を整備した改革派市長とも呼ばれております。
知事は、平成元年の知事就任以来、社会的に弱い立場の方に心を配る「気配りの県政」と、時代の流れに先手を打つ「先取りの県政」を両輪として、県民総参加による「夢おこし県政」を強力に進めてこられました。県民の皆さんが描いている夢を数万件集め、これを一つ一つ実現に向けて練り上げて実現していくやり方は、内外から高く評価される手法でありました。
私は、平成元年の知事就任以来、県は国の下請機関ではなく、県民の夢を実現するための下請機関であるべきとの考えのもと、「気配りの県政」と「先取りの県政」を両輪に、「日本一住みよいふるさと岐阜県」づくりを目指して、県民総参加、県民本位の「夢おこし県政」を推進してまいりました。